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旅日記

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“移民の街”、ニューヨーク。最初にこの地に住みついたのはイギリス系の移民。
ドイツ系、そして19世紀の西部開拓の頃にはアイルランド系が大増加。
さらにイタリア系、ユダヤ系……と続き、20世紀以降は白人以外の割合も増している。
今現在、NYの住人の3.5人に1人が移民であり、親の世代まで入れるとその割合はぐっと増す。
このNYという街では、100を超える民族が暮らし、120種類以上の言語が話されている。


2004/8/19

0:45LAX発ミネアポリス経由でニューヨークへ。
ここから先は、オレにとっても初めての旅となる。
ホテル代も浮き、貴重な行動時間も節約出来るベストなフライト。
昨夜、2時間半しか寝てないオレはドリーミィナイトを飲み、そそくさと寝入る。
が、3:38分、睡眠もそこそこに起きてしまう。
さすがドリーミィナイト。ぐっすり眠れた感は否めない。
相棒は未だ夢の中。
目を覚ましてから、オレはずっと、明けゆく空を眺めてた。

  

ミネアポリス上空。眼下には見渡す限りの森と湖が広がる。
自然に囲まれた住みよさそうな土地だった。

4:30、ミネアポリスに到着。NY行きの便に乗りかえる。

NYC行きの便に乗り、離陸を待っていると、積み込まれる荷物の中に、オレらの荷物を発見!
手で朝日の光をさえぎってる人の傍らにあるのがオレの荷物!
奥にある黄色いのが立花の荷物。
6:10分離陸。最終目的地NYへ。

今回の旅行における機内食で一番うまかった!!
まさにシンプルisベスト!
朝食後、隣に居合わせたビジネスマンと話が弾む。
彼が日本に行った事がある事、お互い寝不足である事、等。
もちろん英語で。やっぱり英語は使えるに越した事はないね。

7:37、NYラ・ガ―ディア空港到着!
ザ・デイ・アフタートゥモーローで、氷の世界となったアメリカ大陸だが、すっかり氷も溶けてた(笑)

現地時間に時刻を修正して、10:37!!

タクシーで宿泊地であるヒルトンホテルへ。

立花たっての願いでヒルトンに泊まる。
チェックインは本来なら14時なのだが、特別早めにチェックインさせてくれた。
早速、部屋に荷物を置き、荷物をパッキングして市内観光へ出かける。
初日だし、二人で行動しようと思ったが、興味があるものもそれぞれ違うし、
立花も英語に慣れてきた、というので、別行動を取る事に。
明日は、二人でリバティ島に一緒に行く、という事でヒルトンより北を主に回る事に。
13:00にヒルトンを発ち、別行動を取るが、後に、立花が道を間違えて南下してた事を知る。
セントラルパークに行くつもりがいつまでたっても見つからなかったとの事。
日本より道が簡単なのに迷うなんて…
やはり一緒に行動を取っておくべきだったかな…?と少し後悔。
でも、立花は立花なりにサプリメントショップで有益な一時を過ごせたそうだ。

さて、オレは、というと、迷子ちゃんとは打って変わって、
NYの新旧入れ混じる建築を楽しみながら順調に北上(笑)。
とにかくひたすら歩き回る。


とにかく、NYは日本やロスとは違い、新旧の建物が入れ混じる摩天楼。
無機質な新宿と比べると、NYの街並みは温かみがある。
何よりも飽きさせない。

30分ほどぶらぶらしながら、セントラルパークに着く。
これまたぶったまげる。
摩天楼の中に位置する広大なパーク。
面積は約3.4k㎡。尋常じゃないデカさである。

セントラルパークの歴史は1850年に始まる。
マンハッタンにニューヨーク市が成立し、ロウア―マンハッタンが人口密集地として活気づいてきた頃、
ジャーナリスト&詩人のウィリアム・カレン・ブライアントが
「これからどんどん膨張していくであろうこの街には、人々の憩いの場となるオープンスペースが必要」と、
ニューヨークポスト紙上でキャンペーンを開始した。
こうしてセントラルパークの歴史が始まったのである。
1857年、デザインコンペで優勝したF・ロウ・オルムステッドとC・ヴォーの二人の建築家により事業開始。
大量の土を運び込み、20km以上にわたる水道管、約100Kmにわたる下水道管を埋め込み、
植え込まれた樹木は50万本以上、小径も97Km。
こうして当時、まだ人気のないゴミ捨て場だった荒れ果てた土地は世界初の都市公園となったのだ。

ちなみにこの場所は“Sheep Meadow”という場所だが、ここに写ってる部分でさえ、セントラルパークの約1/20に過ぎない。
見渡す限りの緑と水着の美女が、いい目の保養になった(笑)。

セントラルパークの至る所でリスを見かけた。
東京都内の公園に果たしてリスがいるだろうか?

セントラルパーク内を走る馬車

シープ・メドウから一旦西に出て、ハドソンリバーを目指す。

ホントにNYは街路樹が多い。特に古い建物とよくマッチしてる。

サプリメント先進国アメリカにおけるサプリメント専門ストアの一つ、“GNC”
店内はご覧の用にサプリメントだらけ

72 Broadway CROSS ROAD

Hudson River

NYのスーパー

全てオレの大好物のドライフルーツ

NYの特徴的な街並みの一つ。

ひたすら歩き回って、眠くて…、しまいには歩きながらうたた寝。
こりゃやばいと思い、セントラルパーク横のベンチでしばし仮眠。

なかなか気持ちよかった。
30分ぐらい仮眠して、再びセントラルパークへ。

セントラルパークの約1/5を占める広大な貯水池
“Jacqueline Kennedy Onassis Reservoir”
なんとも長ったらしい名前だ。

セントラルパークの楽しみ方色々

まずはランニング。
ローラーブレード
サイクリング
そして、ヨガ。
水遊び、昼寝
そして、他にもボート、プール(冬期はスケート)、野外シアター、野外音楽堂、動物園、回転木馬等、なんでもあり。

オートフォーカスを調整したらこんなナイスな写真も撮れた。
緑あふれるセントラルパークの彼方に蜃気楼のようにその姿を見せる摩天楼

NYPD

知る人ぞしるベルギー王室御用達ゴディバ…の前に仁王立ちの男性。
ちなみに…
~~~ゴディバの由来~~~
むか~しむか~し、11世紀のイギリス。
コベントリーに住む人々は、領主レオフリック伯爵の課す重税に、大変苦しんでいたそうな。
それを知った領主の妻、レディ・ゴディバが税を軽くするよう申し出ると、
伯爵は「お前が一糸もまとわない姿で町中を廻ることができるのならそうしよう」と答えましたとさ。
美しいレディ・ゴディバは大変悩みました。
しかし、とうとう聖霊降臨祭の次の金曜日に、白馬に乗って町を廻ったんだと。
このレディ・ゴディバの強い自己犠牲の心根に打たれた町の人々は、
その日は窓をかたく閉ざして、彼女の行為に答えましたとさ。
レディ・ゴディバの優しい心、そして自己犠牲の精神にあやかり、社名に頂戴したんだとさ。

どこだっけなァ…忘れた。

NYFD出動!!

遠くにシティコープ・センターを臨む。
アメリカの大手銀行シティバンクの親会社であるシティコープの本社ビル。
1978年にNYで3番目に高いビル(約280m)として建てられた。
輝くアルミニウムとガラスで覆われ、日に当たるとまぶしく光る事と、上部が45度に切り立っている事が特徴。
ビルの中に教会があるのもこのビルのユニークな点。
ルーテル教会が、新しくできるビルの一画に教会を併設する事を条件に、
シティコープにこの土地を譲り渡したのだ。
今回は訪れなかったが、次回は訪れてみたい。

19:00位。街路樹のイルミネーションが光り始める。

St. THOMAS CHURCH

街の一角にあったくつろぎの空間

20時ホテルに帰着。
とにかくひたすら歩き回った!!
仮眠時間、ショッピングを除くと、なんと約6時間も歩いてた!!
部屋では、方向を間違えてセントラルパークにたどり着けなかった相棒が、
すでに布団に入って寝てた。
オレもシャワー浴びて、久々にぐっすり寝る。

とにかく、見るもの全てが新鮮だった。
やはり旅はいいね~


2004/8/20

朝6:00起床!!
6:45ホテルを出発!!

今日はリバティ島を目指してひたすら南下。
相棒と行動を共にする。

NYの至る所で見かけるりんごのオブジェ

CAFE METROで朝食。

サンドイッチに、オムレツに、紅茶に、トリプルベリースム―ジー
その場でミキシングしてくれた、トリプルベリーがうまい!!

食後のトリプルX&CoQ10
サプリケースはロスで買ったものなり。

腹ごしらえもバッチリ。朝の摩天楼を見上げる

美女とツーショットでご機嫌の相棒

7:44 “世界の交差点”タイムズスクエア
トムクルーズ主演映画、バニラ・スカイでは撮影のため、ここ一体を封鎖したという。
夜にも訪れたので、詳しい説明は、後半で…

NYのゴミと相棒。
とにかく、ゴミ回収車もデカイ!!

6th Ave.とAve. of the Americasの交差点

ニューヨーカー達の朝。
オレもNYに住み、こういう朝を過ごしたい…

今夜、夜景を見に登る予定のエンパイアステートビル。
とにかく高い。

CB750

ビルの壁がどこまでも続く…

Broadway×West 31st
そして“i,ROBOT”のポスター

シャレかと思ってたエイリアンVSプレデター。
しかし、帰国後、マジ(死語)である事を知る。

W25th Ave.

Broad Way × 5th Ave.に建つフラットアイアンビル。
1902年の建築当時には90mで世界一高いビルだったが、
先端部分の幅は2mしかなく、アングルによっては薄い壁のように見え、
アンバランス、いつ倒れるか分からない、と陰口をたたかれつつも、
気がついてみりゃ100年以上も健在。
今ではすっかりNYのシンボルの一つになりつつある。

フラットアイアンビルから北(歩いてきた方向)を臨む

ユニオンスクエアのグリーンマーケットにふらり…と立ち寄る相棒
隣のニュージャージーから農家達が採れたての野菜を売りにやってくる。
ビーツ、アーティチョーク、スカッシュ、ポータベラ・マッシュルーム、ハラペーニョ等、
日本ではあまり見かけない野菜が売られている。

Union Square Sta.

NYと言えばDKNY!!
ダナ・キャランが85年、夫であるワイスと共に、日本のメーカーの資本により設立した会社がダナ・キャラン・ニューヨーク社。
彼女はファッションの歴史を作った"と賞賛された。
また、スターが生まれにくいといわれるニューヨーク・ファッション界では、
ラルフ・ローレン、ペリー・エリスに次ぐスターデザイナーであるといわれている。

ニューヨーク大学の学生(多分)
かわいかったので撮っちゃいました。

連邦ビル。

テロ警戒がかなり厳しい施設の一つなので、全景はこれで勘弁。
有事の際はオレがテロリストに認定されかねない(笑)
って笑えるか!!)

9:50
ついにやってきました。
グラウンドゼロ。

跡地に聳え立つワールド・フィナンシャル・センター
1階には総大理石造りのウィンターガーデンがある。
テロによる被害を受けたが、天井アーチ全体の70%にも及ぶ約2000枚の
ガラスを入れ替えるなどの改修を行い、2002年9月17日に復活。

アメリカ国旗とPOW-MIA
ちなみに、

※POW=Prisoner Of War(戦時中捕虜)の略
※MIA=Missing in Action(任務遂行中行方不明者)の略語
要するに、NYFDの行方不明者の人々の為に掲げられているのだろう。
っていうか、オレもよくこんなの知ってたな…
昔、傭兵好きが祟って色んな無駄知識覚えたからな~(笑)

在りし日のWTC。
とにかく高い、の一言に尽きる。
NYのシンボルでもあったそのWTCに、2002年9月11日、2機の飛行機が突っ込む。
そしてWTCは跡形もなく崩壊。


今まで歩いてきたNYの街並みがまるで嘘のような不気味さを放ってる、WTC崩壊後の現場周辺

事故当時のWTC周辺の地獄絵図を生々しく伝える、グラウンドゼロに飾られたパネル

R.I.P for all victims
&
Tribute to HEROES

2008年にはWTC跡地、グラウンドゼロにフリーダムタワーが建つ。
その高さ、実に541m。
ちなみに、現時点では技術的に1,600mまで建築可能らしい。
自負心と富があれば、の話らしいが。
宇宙エレベーターなる構想も出てる事だし、多少現実味はあるが…

LMDC HPより拝借

オレと立花と同じく日習の同期の桜、芝木は、アメリカ大陸単独横断旅行中に、
件のテロにより足止めを食らう。結局最終目的地NYまで行けなかったそうな。
このグラウンドゼロに立ち、色々と思いを巡らせたが、とにかく、この地で、
あんな事件があった事さえ信じられない。ただ、ただ、被害者の冥福を祈るばかりだ。

10:15

ニューヨーク最南端、バッテリーパーク着。
とにかく、NYの公園はキレイ、の一言に尽きる。
都内のどこぞの公園みたく、ホームレスのテントもないし、芝生の手入れも行き届いている。

バッテリーパークに設置されているモニュメント。
WTC内のプラザに設置されていたが、WTC崩壊でダメージを受ける。
しかし、破壊されることのなかったこのモニュメントは、
希望とアメリカの不滅の精神の象徴として、ここバッテリーパークに設置された。
モニュメントの前には、決して消える事のない火が燃えつづけていた。

本日の最終目的である自由の女神とのツーショット。

さて、自由の女神も見たし、もと来た道を戻るとするか…
って、え?これ、自由の女神じゃない?
あ、ゴメンゴメン、間違えた。

本物の自由の女神はこっからフェリーに乗るんだった(笑)

チケット売り場でフェリーのチケットを買う。
が、チケット売り場の窓に、張り紙が。
何だろう?と思い、読んでみると、ナニナニ…?
「フェリーのチケットでは自由の女神像の中には入れません。
整理券が必要となりますので、係員までお申し付けください」だと。(もち英語)
で、係員に、自由の女神像の中に入りたいから整理券くれ、と伝える。
整理券GET!さすが、目ざといオレ。
ちなみに、リバティ島に渡った時、「何故自由の女神像の中に入れないんだ?」と
係員に詰め寄る外国人旅行者をちらほら見かけた。

整理券(レンジャーツアー)

整理券をもらったはいいが、ご覧のように、2:45~3:45の間となってた。
フェリーの待ち時間を考慮し、13:30に集合、という事で、ここで相棒とは別行動を取る事にした。
相棒は昨日行けなかったセントラルパーク、そしてアメリカ自然博物館を見るために、地下鉄で北上。
オレは…と、約3時間、何をして時間をつぶそうかな…と地図とにらめっこしながら歩き出す。
ロウア―マンハッタンを北東に向かいながらブルックリンブリッジを目指す事に。

ちゃちゃちゃ~ん♪
暴れ牛が現れた(写真左)。
暴れ牛はまだこちらに気付いていない。
リュウの攻撃。会心の浣腸!!
暴れ牛を倒した。

なんと、暴れ牛が起き上がり、仲間になりたそうにこちらを見ている。
仲間にしますか?
はい いいえ
「はい」
暴れ牛が仲間になった!



というわけで記念写真(写真右)。
ちなみに正式名称は“ブロンズ・ブル”

トリニティ教会。NYで最古の歴史を誇る。

トリニティ教会の裏にある、美しく手入れされた墓地

ブルックリンブリッジ
ゴジラが息絶えた場所としてあまりにも有名である(え?知らない?)

ブルックリンブリッジから眺めるロウアー・マンハッタン
ブルックリンブリッジの面白いところは、歩道が真中。そして、その両脇の下に高速が走ってるところである。
おかげさまで、歩道からの眺めは抜群!!

市庁舎近くにあった噴水

グラウンドゼロすぐ横のリバティ公園まで戻り、昼飯の物色。

たくさんのニューヨーカー達が屋台で弁当を買い、食べている。
何がいいのか分からないオレは、食べてる人のご飯を覗き込み、
ある気になるメニューを食ってた人に、「同じ物が食べたいんだけど、どこで買えばいいんですか?」
という強硬手段に出る。まぁ、食べたいものを確実に食えるしいいではないか。

オレが選んだ飯は“カレーチキンライス”。
うまそう~。
だが、ここでは食わず、バッテリーパークの木漏れ日の中でゆっくりと食う事にする。

NYSE(ニューヨーク証券取引所)
アメリカ最大の株式取引所であり、建物は1903年に建てられ、正面は古代ギリシャを思わせる様式になっている。

Federal Hall National Memorial
1789年4月30日、初代大統領ジョージ・ワシントンが大統領就任の宣誓をした地を記念するホール
正面に立つ像がワシントン初代大統領である。
第1回連邦会議もここで開催された。
昔は市庁舎であり、裁判所と拘置所も兼ねてたが、財務省分局、連邦準備銀行支部と変遷を重ねた後、
1955年からは国定記念物となっている。現在建物の中は博物館になっている。

建物の入り口で警備がてら談笑するSWAT
手にはM-16が握られている。

ウォール街
かつてマンハッタンに初めて入植したオランダ人が、ネイティブアメリカンやイギリス人からの攻撃を防ぐため、
ハドソン・リバーからイーストリバーまで連なる丸太の防壁を築いた。
それを“ウォール”と呼んだことから、ウォール街(Wall Street)という名がついている。
そして、今、この狭いエリアにはNYSEや地下に$1500億という途方もない量の金塊を貯蔵しているFRB(連邦準備銀行)、
そしてそれを取り巻くように大手銀行の本店が建ち並んでいる。
まさに世界金融の中心地。

ベトナム戦争戦没者慰霊碑

ランチタイムの休息を取っているニューヨーカー達

再びバッテリーパークへ。
木陰で気持ちよさそうに昼寝している人。
オレも芝生に腰を下ろし、先ほどの昼飯を食べた。

そして、フェリーのチケット売場に並ぶ列を眺めながら、相棒を待つ。
13時少し過ぎに遅れて相棒が来る。
2人でフェリー乗り場へ。しかし、長蛇の列。
でも、パフォーマー達がいたので待っている時間も楽しく過ごせた。

ちょっとわかりづらいかもしれないが…、
二つに並べたゴミ箱を側宙で飛び越えている。

そしてこんな力技も。

側宙2回目。
ゴミ箱の端から端まで多分2mはあるな…
このまま、頭から2つ目のゴミ箱に入ってしまえばもっとおもしろいのに…、と思ったのはオレだけじゃないだろう…(笑)

と、海に落ちてる人を助けてる場面に遭遇。
大声で助けを呼んでいる人の頭のうえには鳥が素知らぬ顔でのんびりと。

約1時間並び、やっとフェリー乗り場に。
簡単なセキュリティチェックを受け、フェリーに乗船!!
汽笛とともに離岸。
徐々に遠ざかって行くマンハッタンの摩天楼を眺めてたとき、ふと涙がこぼれそうになった。
え?何故かって?
フェリーがリバティ島に向かう最中、ウェーキ(航跡)の向こうにこの景色を眺めた途端、
改めて、「ああ、オレ、マジでニューヨークに来てるんだな…」って感激したのだ。
ラガーディアに降り立った時も、セントラルパークを散歩してた時も、
タイムズスクエアを通った時も、グランドゼロを眼前に見た時も
この時ほどまでにNYに来てる実感を感じなかった。

そして…ついに自由の女神とご対面!

自由の女神像が立つリバティ島に上陸!
フランスが、アメリカ独立100年を祝い、変わらぬ友好のしるしとして贈られたのがこの自由の女神。
移民達が港に入港する際、この像を目にして新大陸への希望に夢を膨らませ、勇気づけの糧としたと言われている。
1984年から1986年にかけて行われた、総工費$7000万の大修理のおかげで、100年以上経った今なお健在。

米国同時多発テロ以降、セキュリティチェックが厳しくなり、オレ達もフェリー搭乗時に1回、
そして自由の女神像に入る前にもう一回、と並々ならぬ厳戒態勢。
ちなみにここでもM16を携えた湾岸警備隊・SWATが警備にあたっていた。

自由の女神像内への入り口
整理券を持たぬ人は門前払い。

ここからレンジャーツアーが始まり、レンジャーによる説明を聞きながらのツアーが始まる。

改修前のたいまつ?

改修前の顔?

自由の女神ができるまで

アホが一人…

自由の女神像の台座からロウアー・マンハッタンを臨む
残念ながら王冠までは行けず。
ツアー後、足早にリバティ島を後にする。

途中のエリス島でのワンショット。
ロウアー・マンハッタンをバックに星条旗がはためいている。
そしてカモメ。
中々いい構図で撮れた(^^)

遠ざかるリバティ島

戻ってきたバッテリーパークではパフォーマンスの数々。

こちらは大蛇を首に巻いている少年。

そしてヨガ男 
左上の写真の時点で、一人の男の子が泣き出す。
んで、右上の写真の状態で、ケツを前後にブランブラン…と(笑)

このポージングには皆大爆笑

筒の上で逆立ち…、そして軟体動物のごとくすっぽりと筒に収まる。

お約束のチップおねだりタ~イム始まる
にしてもスゲ~肉体。

さて、17:00.バッテリーパークからホテルへ帰ることに。
ここからも別行動する事にし、20時までにホテルに帰る、ってことで散る。

オレは来た道とは違う道を歩きながら北上。

まずはここへ。
知る人ぞ知るA/Xことアルマーニ・エクスチェンジ(オレは知らなかった)。
相棒がサプリメントショップのほかに行きたがってたのがここ。
アルマーニのセカンドブランドで、日本には未上陸。
高いだろうな…と思ってたが、とんでもない!
値段は手頃で、しかもデザインも品質もいいのが揃っている。
流石、アルマーニの名を冠してるだけの事はある。
DKNYでも買い物したが、高かったし、来店してた客は数人。
だけど、こっちは多分3桁いくかいかないかの人出だった。
まさしく、普段着こそおしゃれを、というニューヨーカー御用達のブランド。
買うつもりなどなかったのだが、デザインもよく、買わずにはいられなくてTシャツとジャケットを購入。

ワシントンスクエア・パークにあるワシントン・アーチ
ここら辺一帯はグリニッチ・ビレッジと呼ばれる緑豊かなエリア。
そもそも、英国人たちが住み着いて、“Greenwich(緑の村)”と呼ばれるようになったのが由来らしい。

この後はアディダスやプーマ、大型スポーツ用品店などをまわって物色。
でも中々いいのが見つからず、19:50頃、歩いて帰っても間に合わないので、イエローキャブを拾って、ホテルまで。
が、相棒がいない。
明日は帰る日だし、荷物の整理をしながら相棒を待つ。
遅れること約30分後相棒が帰ってきた。
早速、この旅での最後の思い出を作りに、エンパイアステートビルへ!!
完成から70年以上経った今でもひび割れひとつ見せず、NY随一のランドマークとして聳え立っている。
1986年にはナショナルランドマークに認定、訪れる観光客は年間350万人!!
ちなみに、70年以上も前に立ったのに、日本一のビル、横浜ランドマークタワー(296m)よりも高いのである。
オレがここに行くのを楽しみにしてた理由は、高所好きなのもあるが、展望台がオープンデッキにある事!!
日本はガラス張りだが、ここは違う。しかも86階!!!!ーーーーーー\(>∇<)ノーーーーーー

20:40、ホテルを出発。メトロでエンパイアステートビル近くまで一気に移動。

エントランスはアールデコ調できれい。
そこに飾られているエンパイアステートビルのプレートが荘厳な雰囲気を醸し出している。

地下1階でチケットを購入し、まずは2階のアトラクション「スカイライド」へ。
ニューヨークの街を飛ぶフライトシュミレーター。
タイムズスクエアを出発後、マンハッタン上空を飛び回る、という内容になっている。
座席も映像に合わせて動くので結構楽しめる。

そしていよいよ展望台へ!

見にくいけどかなり混んでるのが分かるだろう…
エレベーターに乗るまで20分以上はかかった。
エレベーターを80階で乗り換えて、待ちに待った86階の展望台!
オープンデッキから見える夜景は…

上段が通常モード、下段が夜景モードでの撮影。
右写真に映ってる尖塔はステンレススチール製の頂上部がウリのクライスラービル
約1時間はこのオープンデッキにいたと思うが、この夜景はヤバイ!
新宿の高層ビルや横浜のランドマークタワーの展望台からのからの夜景とは比べられないほどすごい!
摩天楼で有名なNYのビル郡を見下ろせる展望台の高さにもあるが、
オープンデッキな事が素晴らしい。
NY最後の夜にふさわしい思い出となった。

そしてこれがオープンデッキから見上げたエンパイアステートビルのタワー部。

エンパイアステートビル工事風景。
背景に映っている街並みを見ればその高度は尋常じゃない。
まさに命がけ!是非ともプロジェクトXで取り上げてほしい(笑)

エンパイアステートビル内にあったビッグアップル。

夜景を思う存分堪能し、お土産もしこたま購入して帰路へ。
相棒は歩きつかれたとの事で一足先にタクシーで帰った。
でもオレは、歩いて帰った。
まだ歩き足りないのである(笑)。

ちなみにここは通りかかったタイムズスクエア。

ちなみに真夜中0時です。
まさかこんな賑やかだとは思わなかった…(^^;)
そりゃ、”世界の交差点”だもんな。そりゃ賑やかに決まってるわ。
ちなみにツーリング仲間の上野さんが学会でNYに来た時には、
例の停電でタイムズスクエアのネオン全て消えてたんだって!

馬車もいた。

小腹が空いたので、スタバで夜食&ストリート?ウォッチング

えらい賑やかだが、タイムズスクエア一帯を過ぎると、これまたえらい静か。
特に何もないと期待してたホテルまでの帰り道だったけど楽しい寄り道だった。

またまたビッグアップル発見!
24:50ホテル帰着。
シャワー浴びて、風呂入って、荷造り等をしてたら寝たのは4:30!


2004/8/21

9:00起床!
10:00に朝飯を食いに外へ。
場所は相棒がガイドブックからセレクトした“カーネギー・デリ”へ。
注文したのは一番人気という“パストラミサンド”

実は、これ、一人前を半分こした量なのだが、それでもこのボリューム!
これでもか!というほどのパストラミ!
マジうまかったです!
相棒のおかげでA/Xと、このパストラミサンドを堪能出来たの感謝感謝。
そしてホテルに戻り、11:45にチェックにサインしてホテルをとんずら
タクシーに乗り、「JFK International Airport, please!」
さらばニューヨーク…
思えば、ロスはレンタカーでドライブしまくりだったが、
NYでは打って変わって、ひたすら歩き回った。
これでもかと言うほど歩き回った。
おかげで色んなものを間近に見れたし、地理も殆ど頭に入った。
今度来る時には更に有意義に観光できるだろう。
ツアーに参加すればスポットを余すことなく回れてお得だろうが、
やっぱり地図を見ながら、自分の足で(または自分の運転で)見てまわったほうが楽しい!
予定が自分で組めるし、何よりも好きなところへ行けるしね!

約30分後JFKに。
搭乗を待つ間、ロビーで軽く買い物して、搭乗。

帰りの飛行機でも離陸寸前に低気圧注意報が出て、滑走路で足止め。
ごらんの通り激しい通り雨。
30分ぐらいして暴風雨が収まりかけ、15:50Take Off!!

さらばアメリカよ…

気がつけば雲の上。
ロス、NYと西海岸・東海岸の2都市を5日間という超短期で周遊したが、
めちゃめちゃ内容の濃い旅だった。
相棒も、初海外にしてはかなり充実した旅だったみたい。
さすがオレ。
やはり旅はいいね!
さてと、次はどこ行こうかな~。


おまけ
~相棒のブログより引用~


August 19, 2004

N.Y.

朝食ロスからミネアポリスを経由して午前中N.Y.に到着。
チェックインを済ませ、街に出る。

スゲー都会!!

1日中歩き回って泥のように眠った。

  

August 20, 2004

N.Y.#2

エンパイア夜景今日は相棒とは別行動。
地下鉄を駆使してセントラルパークの方からスタチューオブリバティーの方まで片っ端から見て回った。
グラウンド・ゼロでは工事が進んでおり、より大きな新しいビルが建つという。

写真はエンパイアステートビルの夜景。

  

August 22, 2004

帰国

99f77741.JPG無事帰国。
右脳が大いに刺激された最高の旅だった。

ありがとうMr.TB!!

  

Fin


 

 


May the adventure be forever wonder and grace!!